悪魔が天使にキスをする

今年が終わる。

なんと忙しかったことか12月というヤツは。

もちろん、仕事は忙しかった。しかしこれはどこの企業でもそうだろう。

イベントが多いのだ。

忘年会。クリスマス。大掃除。年越しの準備。

私はこれに加えて中旬にバースデーがある。仕方ない、これも毎年のこと。

さんざん働いた体にアルコールを注いでいくことにそら恐ろしくもあり、

さんざん働いた体にご褒美だと言い訳を。

しかし、私のからだのどこかが悲鳴を上げたのだろう。

メガトン級の風邪をひいて、楽しいはずの今年のクリスマスは散っていった。

いいだろう。良しとしよう。なんてことはない。捨てのクリスマスだ。

今年は、私にとってはすこし奇妙な一年だった。

傍から見たらわからない。絶対にありえないだろうことが起こった。

固定観念というものをいとも簡単にぶち壊して、私の心にストンと腰をおろす

なんとも可愛らしい悪魔たち。

本当は、今年最後のブログはこの可愛らしい悪魔のことを記して終わるつもりだった。

しかし、まだ私のカラダが本調子ではないのだ。

あの子たちのことは年明けにしよう。

病み上がりの天使には いささかタフなことだから。

そう。今はこの〝風邪〟という本物の悪魔をなんとかしなければならないのだ。

 

今年が終わる。

こんな一年もアリだろう。悪くはなかった。

そう思えたこの一年に、ありがとう。 

思い込みのチカラ


誰でも、自分にとって相性のいい場所があるのではないだろうか。

そこにいると不思議と落ち着いたり、心の中のモヤモヤが取り払われたり、なんとなく上手くいかないと思っていたことも、何とかなるかな、と気持ちをうまく切り換えられたり。


私にもそんな場所が複数ある。

代々木八幡宮がその一つだ。

世間ではここをパワースポットと呼ぶ人もいるようだ。

一般的にパワースポットというものにどういった効能効果があるのかはナゾだが、私にとってはすこぶる相性のいい場所のようだ。

調べてみれば、ここには勝負と商売繁盛の神様がいるらしい。

だからと言って、参拝すれば全ての人が勝者になれるのかと問われればそこもナゾだが、私にとってはこの代々木八幡宮スペシャルな場所なのだ。

べつに癒される訳ではない。落ち着く訳でもない。

ただ、

何だってできる!と思わずにはいられなくなるのだ。

私は無敵だ!勝手にそう思い込んでしまうほど色々なことを始めたくなってしまうのだ。

ほぼ毎月、一度は散歩がてら足を運んでいる。

帰り道は少し遠回りをして、明治神宮をお参りして帰るようにしているのだが、その足取りの軽いこと。


誰にでも、自分にとっての相性のいい場所があると思う。

そして、その場所を一つでも見つけることができたら、ちょっとした味方を手に入れたようなものだ。

ほんの一時でも、できるんだ!と思い込んで、何か新しいことへの第一歩を踏み出してみるのも悪くはないだろう。

思い込みのチカラというのは、これが意外とばかにはできない。



ストレスをやっつけろ!

 

もうダメだ、と思うことがたまにある。

憂うつなことも、悲しいことも、腹の立つこともある。

死にたくはないが、しばらく消えてしまいたくなる程の後悔をすることもある。

 

なぜか、そんな時に登場するのが生クリームだ。ケーキを作る時に使う液状のアレだ。

飲むのではない。泡立てるのだ。

この泡立て器はもちろん機械ではない。腕一本の勝負だ。

始めはサラサラな液体だった生クリームが、少しずつもったりしてきたところからが正念場。

泡立てている最中の私の頭の中はもう、ホイップクリームとしての完成を目指すことしか考えられないのだ。

 

先日、友人がこう言った。

「ストレスを解消する一番イイ方法は集中することなんだって!」

聞けば、いろんな集中の仕方があるようだ。

まわる洗濯機の層をただずっと眺めている友人。

ビーズでアクセサリーを作り続ける友人。

ブイヤベースを火にかけ、一日中そばを離れずに、ひたすら浮いてくるアクをすくうアク代官と化す友人。

私にとってのそれは、ただ無心で生クリームを泡立てる。

これこそが、ストレスの消し方だったのか。

なるほど、合点がいった。

こんな単調な作業で、知らぬ間にストレスというヤツを撃退することができていたのだ。

 

そして昨日、スーパーで「やっちゃうか!」と声に出してつぶやきながら生クリームの箱を手に取った。

 

しかし残念なことに私の場合、ストレスは解消されても、翌日に腕の筋肉痛というオマケがついてくるのだ。

 

叶わぬ恋

 

人魚姫。

これはかなしい恋の話。

 ある日、海の底に住む人魚姫が水面から顔を覗かせると

一艘の船が嵐に巻き込まれ、大きな波にのまれてしまう。

気を失い、沈んでゆく一人の美しい男の子を助けた人魚姫。

彼は、とある国の王子だった。

人魚姫は、王子の意識が戻るのを遠くから確認すると、

また海底へと帰っていく。

しかし、楽しい海底に戻っても、あの美しい王子を忘れることはできなかった。

どうしても王子に会いたかった人魚姫は、人間の脚を手に入れるため、海の魔女のもとへ。

いったん人間の姿になれば、二度と人魚に戻ることはできない。

もしその愛を勝ち得ることができなければ、王子が他の女性と結婚したら、次の朝、人魚姫の心は砕けて海の泡となってしまう。

それに加えて、彼女のその美しい声をも魔女に差し出す、という条件とひきかえに、人間の脚を手に入れた。

ようやく、美しい王子と再会した人魚姫。

しかし、王子には想い人がいたのだ。

それは、あの嵐の夜に気を失ったまま岸にたどり着き、目覚めた時に目の前にいた女性だという。

声を失った人魚姫は、王子を岸まで運んだのは自分だと伝えることができなかった。

とうとう王子は本当のことを知らぬまま、その女性と結婚してしまう。

結婚式の夜、人魚姫のお姉さんたちが波間に姿を現し、取引して魔女からもらったナイフを手渡すのだ。

これで王子を刺せば、脚はくっついて、また人魚として海に帰ることができる。

しかし、人魚姫はそうはしなかった。

 

眠る王子の額にキスをして、ナイフを海に投げ捨てた。

子供の頃、何度も大人に読み聞かせてもらった。

王子様を殺せば、この子は死なずにすむのに

〈なんておバカさん!〉

いつも、毎回そう思って聞いていたのだ。

 

長い年月が経ち、本屋で一冊の本を見つけた。ビーズの刺繍の写真が挿絵になっている、とてもキレイな本。

人魚姫だった。

大人になってから改めて読んだこの物語は、子供の時に感じたそれとはまったく別の気持ちが、私の心を埋め尽くした。

〈なんて強い女の子〉

人魚姫は、あの王子の愛しかもう必要ではなかったのだ。

王子を殺して自分の命をつなぐことより、自分の命よりも大切だと思えるひとに出逢えたという幸せを知って、海の泡となることを選んだのだ。

 

究極の選択だ。

身を焦がすほどの恋なんて知りはしないが、毎日が楽しく平和に暮らす幸せ。

その恋がどんなに自分にとって辛いものであったとしても、

そんな大切なだれかと出逢えたという幸せ。

 

私には、どちらがより幸せかはわからない。

しかし大人になってから読むこの物語は、その度に涙が止まらなくなってしまうのだ。

そしてこう願うのだ。

この涙にだれかか気づいてしまいませんように。

 

 


ナイトメア・ビフォア・クリスマス

たまに、このDVDを引っ張り出して観る。


ハロウィンタウンのかぼちゃの王様ジャックが、クリスマスタウンで見たまばゆい世界を自分たちも創ってみよう、と奮起する。

しかし、準備の段階から勘ちがいのオンパレードなのだ。

何かが足りない、とわかってはいたが、その何かがわからぬまま迎えたクリスマスは惨たんたる結果に。


悪気はないのだ。

ただ一所懸命だったのだ。

これを観るといつも少し、胸がしめつけられる。

ジャックはクリスマスが羨ましかったのだろう。


ジャックはサンタクロースにはなれない。

サンタクロースもジャックにはなれない。


それは、子供たちを

クリスマスにはウキウキさせることができないジャックでも、

ハロウィンではキャーッと驚かせてドキドキさせることはできるのだ。

それでいいのだ、ということなのかもしれない。


何度観ても甘酸っぱい気持ちになってしまうのだが、映像が少し不気味なのでご注意あれ。











花のような君

忘れられないひとがいる。

 

高2になったばかりの頃、私は1つ年上のその彼女を

とても嫌っていた。

理由は1つだけ。私の憧れの先輩の、彼女だったからだ。

学校で、2人が仲良く歩いている場面に遭遇するたびに

わたしはぷうと頬をふくらませて、下を向いた。

嫉妬だ。

 

ある日、私は彼女に意地悪をした。

 

友達とのジャンケンに負けた私は、お昼休みに4人分のジュースを買いに

1階に下りた。

そこには、自販機の前で一人ジュースを選ぶ彼女がいた。

後ろに並んだ私に、彼女は少しはにかんだ顔で

お先にどうぞと譲ってくれたのだ。

私は会釈もせず、4人分のジュースを買ってまた階段に向かった。

すると、2つのジュースを手に持った彼女が小走りでやって来て、

なぜか私の横に並んだのだ。

無言で階段を上る私と彼女。

 

イライラした。離れてほしかった。

私は、持っていたジュースを落としそうになるフリをして、

わざと彼女にぶつかった。少しばかり怒らせたいと思ったのだ。

しかし彼女は、蚊の鳴くような声で一言

「いたい」

そう言っただけだった。

私は自分の悪態をすぐに後悔した。

再び並んで、階段を上る私と彼女。

彼女の教室がある3階にたどり着くあと数段のところで

「ごめんなさい」

私も蚊の鳴くような声で、謝った。

すると彼女は

「うん。大丈夫。」

太陽の光をしっかり浴びて咲いた、花のような笑顔を向けてきたのだ。

この一瞬で、彼女の魅力を思い知らされた。

愛らしく、花のような笑顔を持つ彼女に、敵うわけがないということを。

 

彼女は気づいていたのだろうか?

2人とすれ違う度に、ぷうと頬をふくらませて下を向いていた私の気持ちに。

それは彼女にしかわからない。

ただあの時、あの一瞬で私は、

彼女の花のような笑顔に、完全にやられてしまったのだ。

 

そして長い年月を経た現在も、その花は私の記憶に咲き続けている。

いつか私も、だれかにとっての

花のような君になりたいと思う。

 

 

 

空を見上げてみる

忘れていた。

私は空が好きだということを。


もういつ忘れてしまったのか、いつから空を見上げなくなってしまったのかも思いだせない。


なぜ思いだしたのか。

ある人が、空が好きだと言っていたからだ。

あ、そうだった。

私も空が好きだったっけ。


そのある人のことを、私はよくは知らない。

しかし私の知る限り、その人はとてもがんばり屋でストイック。

そして、とてもデリケートな人のように見えた。


ここ数年の私は空を見上げることもなく、ただ前だけを見て生きてきた。

そうするしかなかったから。

空を眺める心の余裕もなく、ましてや後ろを振り返るなんて時間のムダだと思っていた。


空が好きだと言ったその〝ある人″

のことはいつか書こうと思う。

ただその人のおかげで、私はまた空を見上げるという動作を思いだしたのだ。


初めてのブログ。

これを書いている今日がこんなにも澄んだ青空であることに

ありがとう。

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